※自分の中の気持ちを吐き出す意味で書いた記事です。暗いです。
気持ちの覚書として書いてます。ただの独り言です。興味があれば覗いて下さい😣
たらればの話
2021年1月18日という日
いわゆる『たられば』話なのですが、本日2021年1月18日は出産予定日だった日です。
昨年の1月から体外受精の準備周期が始まり、2月末に採卵して凍結。
子宮を休ませてから5/2に胚盤胞移植をしました。
そして妊娠判定の日。
人生で初めて妊娠判定陽性となり、血液検査の結果の用紙にお医者様が
『予定日 2021年1月18日』
と書いてくれました。
素直に受け取れず、現実とはすぐには思えず、
(絶対他の人の血液と間違えてるっていうオチだよこれ💦)
なんて思ってたな…。
結局8週で流産しちゃったけど、
『予定日 2021年1月18日』
は頭のどこかからは離れませんでした。
あのまま育ってくれてたら…と思う時
流産した後胎盤ポリープになったので、すぐには体外受精も再開できませんでした。
治療のスタートラインにすら立てない自分の現実があって、
胎盤ポリープからの大出血におびえる日々があって、
少しの間でも妊娠していたという事実があまりに遠くなってしまったので、
(本当だったら今頃は…)
とか正直考える事すらなかったんですが、胎盤ポリープも完治して次に進めるようになったくらいから、たまに頭をよぎるようになりました。
流産しなければ今頃はお腹おっきかったのになあ
ベビー用品とか買いまくってたのかなあ
女の子(流産後の染色体検査で判明)だから生まれてたら旦那がメロメロになってた
だろうな
予定日早まってたら今頃もう生まれててもおかしくないなあ
なんかふと『たられば』を考えてしまいます。
そして、現実と比べて落ち込みます。
ほんと、やめときゃいいのに自然に考えちゃってる。
やになっちゃう。
生と死について思う事
人間の勝手な妄想
このコロナ禍で、死がより身近なものになったと感じている方が増えているそうです。
私も同じく、自分が生きている事が当たり前じゃないという事を以前よりも実感している気がします。
それに加えて、自分の身体の中で新しい命が生まれて、悲しい事に死んでしまった事で、『死』というものを深く考えるようになりました。
お寺に水子供養に行った時、
『次また戻ってきて、今度は生まれてきてね』
と願いました。
今度もし妊娠できても、その子の肉体は前の子とは違うんだけど、
『戻ってきてね』
と願ってしまいます。
お腹の中で死んでしまった子があまりにもかわいそうで、魂というものが存在していて戻ってきてくれると思わないと悲しすぎます。
きっとそうやって生きている人間の心を軽くするために信仰というものが出来たのでしょう。
ただの気持ちの垂れ流しです
悲しさの大波がたまに襲ってきて、自分でも怖くなる時があります。
とてつもなく悲しくて、悲しくて…。
そんなときの解決策はありません。
ただ、時間が経てばおさまります。
けど治ったわけではないのでまた襲ってくる時もあるでしょう。
ただ大波に呑み込まれないように、じっと耐える。
泣きながら、感情を発散しながら耐える。それしかない。
あとは笑い。
おもしろい方に自分から突っ込んでいく事。
なんでも笑いに変換する事を心掛ける。
幸い旦那さんがいると笑いには事欠きません。
しょうもない話をひとつ。
水筒のフタが硬いので開けられずにいると、
『通りすがりのゴリラが閉めたかと思うくらい硬いな』
と言ってました。
ゴリラが通りすがりに水筒のフタを閉めてから去って行く様子を思い浮かべて2人で笑いました。
そんな毎日で良い。
大きい悲しみも、不安も、笑いも。
全部ただ存在していて、
ご飯を食べて寝て、
雨風を守ってくれる家がある。
だから生きていけるし、未来を見る事もできる。
そんな事を思った出産予定日だった日。
ただの気持ちの垂れ流しです。
最後まで読んで頂けた方がいるならありがとうございます。
あ、点鼻薬の時間だ😅
4時間ごとにシュッシュする日々を過ごしております。
お粗末様でした。